2005年09月18日
二十代の夏 私はいつも奈良にいた。
奈良のお山の奥の奥。
そこには闇があり、水は懇々と溢れ、緑は影よりも濃い色を映していた。
今年も「あの感覚」が蘇ってくる。
奈良県吉野郡天川村壺内。
能の発祥の地、天河弁財天社は七夕祭りで賑わっていた。
大学生だった私は、胡蝶の舞を奉納するため
白地に牡丹の衣裳をまとい、相方のY嬢と橋掛を進んでいった。
檜舞台に乗り、祭壇を見上げたとき、息が出来ない自分に気が付いた。
あ、あれ?どうやって息ってするんだっけ?
金魚のように口を開けたら世界が崩れてしまう。
どうやって息、してたっけ?踊るとき???
思い出せないまま、私は無呼吸で踊り続けた。
参拝客でぎっしりと埋まった白い熱気。
音楽が私を追い立てる。
後ろ向きになったとき、思い出した。
「吐けばいいんだ!!」
吐いたら、必要な空気が入り込んできた。
呼吸を再開した私は、Y嬢と息を合わせて羽根を羽ばたかせた。
どうしてあんなことが起こったのか、そのときは分からなかった。
緊張していたのだろうか。
誰も気付くことのない
私が私の中でほんのいっとき溺れそうになっただけの出来事だ。
あのとき
祭壇を見上げたとき 何か 大きな何かに圧倒されたのだ。
そこはどこまでも続く 入り口 のようでもあった。
次の日
私は山を降り、奈良の市街をひとり自転車で回遊していた。
逃げ場のない、蒸し焼きの皿の上を辿っていくような午後。
目当ての寺には陰があり、そこで飲むラムネは命の水となった。
平城京跡を目指し、再びペダルを漕ぎ始める。
乾きはすぐに訪れた。汗が噴き出し、意識も朦朧としてくる。
足が勝手に動いているだけの午後。
やっとたどり着いた。
平城京跡。何もない更地。
木陰を探し、そこに自転車を止め、生い茂る草に身体を横たえた。
草の匂い。
荒い呼吸が地面に吸い取られてゆく。
空しいほどに蒼い空。
私は声をあげて泣いた。
生まれたての赤子のように泣いた。
悲しかったのではない。
悔しかったのでもない。
ただただ空っぽな空があったのだ。そこには。
目覚めると、夕暮れだった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
真空になる瞬間が訪れたとき、人は厳かに息を潜めるのだろうか。
誰に教えられるともなく。
真空になる瞬間に遭遇してしまったとき、人は驚きで呼吸を忘れるのだろうか。
そしてその後、堰を切ったように命の声が溢れ出す。
あの夏の日のふたつの出来事は
私を「ゼロ地点」へと立ち戻らせてくれる。
いつも これからも。
舎長 明神慈