2001年10月22日
何年前の初夏だったのでしょうか。
アゴラ劇場でお芝居を観て、渋谷まで歩こうと静かな住宅街に
入り込んで、迷ってしまったことがありました。
きっと、いろんなことにも迷っていました。
坂道をくたくたの足で上っていたのか、下っていたのか。
何とも甘い香りに呼吸が深くなり、意識が鮮明になったのです。
香りに誘われるままにその主を捜し歩くと、
足元に手のひら小のしっとりした花びらが落ちていました。
おそらく白かったであろうその花びらを手にし、青く繁った大木を見上げても、
花の姿は高い梢に天に向かって咲いている様子。遠すぎる花の輪郭。
私は恋をしていました。
羽根がないことを悔やみました。
せめてその花びらから、花の大きさを想像しました。
その木の名前は「泰山木」といいます。
彼女は、「彼女」という通り、女です。
私は小さな虫となり、彼女の甘い蜜に誘われるままに夏を待つようになりました。
何処を歩いていても、泰山木を探すようになりました。
見つけてはフェンスに上り、枝に手を伸ばし、乳白色の大輪の花に顔をうずめました。
離れていた恋人に出会えたような愛しさと懐かしい感触に、涙溢れるひととき。
今頃、つやつやした葉に守られて、赤い実を熟させていることでしょう。
小鳥たちがその実を運んでゆくのでしょう。
それぞれの花の咲く時期を、大切な人の心が熟してゆくまで、
その目の前にいる人さえ待てないと言うあの人の、
まだ人を愛せない未熟な心が、赤く色付いてゆきますように。
満ちてゆきますように。
秋の公演が終わったら、彼女に、泰山木に会いに行きたい夜更けの戯言。
舎長 明神慈