2002年08月26日
変化の前には予兆がある。
きっと小動物たちはそれに敏感に対処するのだろう。
この半年、ある現象が続いていた。
両手に、何かを握っているように力が入っているのだ。ずっと。
眠りについてもそれはおさまらず、赤ちゃんの手のように指が
内側に巻き付いてしまい、微熱を含んだまま、別の鼓動を打っている。
演劇やパフォーマンスの稽古場では「首、肩、腕から指先まで蜜がしたたっている
ように」と日々口にしているのに、自分の手にエネルギーが渋滞しているのだ。
よろしくない。
体感したことのない感覚が続くのは、怖い。
目を閉じて、楽器をもたないミュージシャンの所在なさを描いてみる。
この手は、何をもてばしっくりと馴染んだものになるのだろう。
あらゆる事象を手放してゆく(浮遊させる)作業を進めているというのに。
そんな自分が笑えてくる。 両極にある島をおろおろと行き来する様が。
呼吸を深くしても、力が在るべき処に帰らないのならば、
そういう自分としばらく向き合ってゆくしかない。
ある日、手のひらを見て驚いた。
ふくふくと盛り上がっている両手。赤みを帯びた肉球のように弾力がある。
他者にやわらかく触れることができる、自分をも守ることができる手になっていた。
細くて薄くて、頼りなかった手が。
思春期の頃の、胸の痛みと不安を思い出していた。
痛みの先に、他者に与えるためのなだらかな丘はつくられる。
微熱は続いている。
この手で人とつながってゆく。
舎長 明神慈