あれは2001年の夏。
着物を着るには暑すぎたので、私は浴衣で谷中を歩いていた。
スカイザバスハウスで和服美女空間の上演打ち合わせをするために。
打ち合わせ時間まであと少し。
芸大の脇を小股ながらに最高速度で歩いていると、信号に捕まった。
赤信号でも渡ろうと機会を伺っていると、背後から気弱そうな声がほにゃっと聞こえてきた。
「あのう、うちに着物があるんですけど、見に来ませんか?」
老女が私を見ている。
振り返ったものの、私は汗だく、心ここにあらずで
「すみません、急いでいるので。」
と言っているうちに信号が青になり、競馬の馬さながらにスタタと足を滑らせた。
幸い、リハーサルは押していた。間に合ったあ。
今思い出しても、心が痛む。
あのとき、私は仕事を選び、老女を排除した。
あの老女は、どんなに勇気を振り絞って私に声をかけたことだろう。
箪笥の中で眠っている明治・大正・昭和初期の絹の妖精たち。
それは人が着て動かないことには丸みをもってゆれることはない。
10秒あれば、自分の名刺を渡すこともできただろうに。
でも、見ず知らずの人に名刺を渡すのはやはり勇気がいる。
ならば彼女の電話番号を聞くことだってできたろう。
でも、あのときの私には心の余裕がなかった。
彼女の好意を受け止める器がなかったのだ。
この深い反省は次回に活せないままさらに上乗せされることになる。
昨年の夏、打ち合わせのため、馴れない京都をレースの着物を着て、日傘に隠れながら急いでいた。
道に迷ってしまった。完全に遅刻で、全身汗だくで意識が朦朧としてくる。
交差点で立ちつくしていると品のいい老女が信号待ちしている。
私は道を尋ねた。二つの通りの名前が交わる処。
老女は丁寧に道を教えてくれた。そして、途中まで一緒に行きましょうとさえ言ってくれた。
うれしかったのに、私はまたもやこう言ってしまった。
「ありがとうございます。でも急いでいるので。」
老女を残し、私は走った。
蒸し風呂の京都を小走りに辿りながら、いつの頃からかず〜っとこうやって
走ってきただけの自分に、あきれ、どうでもよくなっていた。
人類ポかリン計画は「人々がもっと楽に呼吸ができるようになる方法」を提示してゆくことなのに。
自分の姿といったら。もうすぐ魔がさしてくる。心の逢魔が時がやってくる。
転ばないと気付かない報復の悪循環にはまってしまう。
上がった横隔膜を即座に下ろす方法なら知っている。
しか〜し、流れる汗は止められない。
幸い、打ち合わせは実りある時間となった。
届かないと知りつつも谷中と京都に暮らす二人の大和撫子に、二人の好意に心から感謝の意を表します。
そして、今年は着物で走らないようにします。なるべく。。。
舎長 明神慈