●「あんにょー」
明神さんは、話し出しに「あのぉ」じゃなくて「あんにょ〜」とよく言う。
最初に聞いた時は
「何だ“あんにょ〜”って?」「いや待て、これも“ポかメソッド”なのか!?」
と思った。本人いわく、
「ねじって、こう、エネルギーをシューッと出す感じ」
なるほど明神さんは真面目に「あんにょ〜」だったのか!
でも、ちょっと笑っちゃうんです(^o^)。
みなさんも話が煮詰まった時などに言ってみてください。
場が緩みますよ。
●「蛸壺、内群れ、外群れ、飛行機雲」
「蛸壺」…修業僧のように自分の内側で表現を模索する状態。
「内群れ」…たとえば俳優間で表現の可能性を探り合い、分かち合う状態。共感。
「外群れ」…観る者に向けて表現を開いていく状態。巻き込んでいくこと。
「飛行機雲」…それらを超越した表現。ゲリラ的。いい意味で「裏切る」こと。
演出家であり、ダンサーであり、文学者・音楽家でもある飯田茂実さんの言葉を、
先日の稽古で明神さんが紹介した。それを自分なりに整理、まとめてみた。
表現のプロセスを言語化したのは初めて。それは意識化に繋がる。
●「ムーミン谷のニョロニョロのように。」
「ニョロニョロのように骨も肉も感じさせない、
半透明にしなる不思議な存在(=魂そのもの)を目指してます。
雷が鳴ると飛び跳ねるんだって。そういう越境する瞬間を感じ取れたら飛んでください。
人間とも他の生物とも見分けがつかない何かになってください。」
ニョロニョロは雷の後には帯電し強く発光するそうです。
俺も明神さんの雷が落ちたら光るかなぁ。
●「部屋が魔界に見えます。」
雨を見ていたはずのカネダさん。しかし彼の目つきは居るはずのない何かを探して
いるように見えたのだろう。それにしても「魔界」とは言い得て妙だ。
●「いろんな動物をよく観察してください。」
「身体の仕組みの違う生き物がどうしているか。動物番組とか観たりして。」
人を持ち上げたり支えたりする時、配慮に欠けた手の添え方をして言われた言葉。
「親ネコが子ネコのどこをどのように持ち上げるかよく観察してください。」
相手も俳優の前に人間ということ。
●「今度やったら奢ってもらうからね〜。」
何度も同じ失敗をしていると言われる。これを言われるとピタッと直る。
今回のメンバーは10人。奢れないです! 僕たちの心理をついた一言。
●「私たちは言葉にできないものを、言葉も使って表現しているんです。」
言葉にできなくても、目は、身体は語っている。
そういうふうに人間の身体をみてみると豊かな身体の様相がいろいろ発見できます。
「ポかメソッド」は、それを「表現」にし、さらに新たな身体表現を発見するためのものだと
僕は考えています。
●「言霊」
「ことだま」と読みます。セリフを言う時、言葉自体が持つ命を感じ、
一つ一つの音の響きを大切にして声に出していきます。
「粒立つように言って」とか「丸みが感じられるように」などといった指示は、
その言葉を聞いた人が抱く印象まで考えてのことなのでしょう。
音楽みたいです。ちなみに、「言霊の幸わう国」とは昔の日本の国の美称だそうです。
●「ブワー、グルグルグルグル〜、シューーー、ヒューワ〜、と。」
今回の芝居では舞台装置と俳優の織り成すエネルギーが、
「ブワー、グルグルグルグル〜、シューーー、ヒューワ〜」と昇華していって欲しいと、
明神さんは全身を使ってみんなに説明したのでした。
この体感というかイメージを持ちつつ、ひとつひとつ構築していかねばなりません。
言葉(音)、動き、身体、呼吸・・・・、
あの空間で同じ時間を生きる人たちが体感できるあらゆるものを、もう一度考えてみなきゃ。
追記)チョコレートを前にしたときの明神さんは、あこがれの人を前にした女子高生の
ようになります。 「身体性」ってこれか!
●「丹田の壺に響かせるように」
「丹田の壺に響かせるように「か」の音を発音してください。
その「か」という音に、相手に対する自分の想いを込めてください。」
自分の名前を言うシーンでの明神さんの演出。
逆に考えると、相手の心に届く言葉(音)はそういう身体から出ているのだろう。
なるほど、僕自身、セリフを言うとなると、そういう身体がなくなってしまっている。
●「ここはポかポイントで」
ポかリンの芝居には「間」がたくさんあります。それは観客が想像を巡らせる時間であり、
俳優は身体や意識の流れを使って“生きた間”を創る演出を受けます。
「すとんと落ちるような間」とか「ぽかっとした間」とか「ズコーッという間」などと
明神さんは「間」を表現します。
先日の稽古では、ある女優さんが「この時、あなたは女性の代表、女神になってください。」
と言われました。
僕の脳裏には、ボッティチェリの「ヴィーナス誕生」が浮かびました。
あの貝の上に裸のヴィーナスが立っている絵です。
●「たけしの銃がこわいのは、そのまま撃つから」
明神さんが、昔、宮沢章夫さんのワークショップに参加して聞いた話。
舞台上で「ただ撃つ」、「ただ撮る」、「ただ立つ」ことの難しさ。
最近見た番組で「ゲバゲバ90分」に出演した俳優たちが、
「男、立っている」「女、そこにいる」と書かれた台本に、
どう立てばいいのか戸惑っていたというエピソードを思い出しました。
「ただ立つ」という演技あるいは状態でいることは、究極の演技なのかもしれません。
●「とけあい、わかりあい、ゆるしあい、そして…」
僕の想像をはるかに越えて、人と人との人生は豊かで残酷でやさしい。
生きるということは、心の中にある空白を埋めようとしている作業なのかもしれないです。
ポかリンの「間」は僕たちの心の空白なのかな。