夜は更けてゆく
雨が降り始める
この手を離したくないことだけは
互いに分かっている
それがなぜなのか は
つきとめなくてもいい
互いを必要としている理由が違うから
いいえ
互いを必要としている理由が同じだから
ただ
その枠がゆらいているだけだ
だから
手を離す
また逢えることは分かっているから
私がこの道を進んでゆく限り
あなたがその道を進んでゆく限り
旅立つと、いろんなしるしが飛び込んでくる。
この夏何度も私を迎えてくれたのは
高い空を横切る飛行機雲。
「よく来たねえ。いらっしゃい。」
そう歓迎を受けているような 心浮かぶしるし。
奈良の天川村壺内に降りたって
境内横の砂利を踏みながら空を見上げたら
夕日に染まった飛行機雲。
立ち止まった瞬間にヒグラシの鳴き声。
360度、黄昏の音に包まれた。
動けない。空を見上げたまま。
番(つがい)のツバメがやってきた。
私の頭上をゆっくりと旋回している。
羽根の動きが見えるくらい、ゆっくり飛んでいる。
何度も何度も。
声をあげて泣きそうになって、あわてて唄を唄う。
唄を唄いながら、歩き出す。
私を待ってくれている人の元へ。
ツバメの舞をみやげ話にして。
舎長 明神 慈
夜。
バスを降り、買い物をしてM通りを横切ったときのこと。
信号まで歩くと遠回りになるので
多くの人が危険を冒して四車線を横切ってゆく。
赤信号の間、わずかな時間に生まれる真空地帯。
私は買い物袋を右手に、道の真ん中にさしかかっていた。
私の前にも横切る女性がいた。
右目の端にかすかに黒い物体が映った。
夜にまぎれてしまいそうな何か。
向こうの信号が青になった。
いっせいに東西からエンジン音が唸り始めた。
私は走っていた。冷静だった。
その黒い物体をむんずと左手で掴み、向こう岸へと渡りきった。
黒猫だった。
即死。・・・温かかった。
「かわいそうに」そう何度も呟きながら、植え込みの傍に黒猫を横たわらせた。
前を歩いていた女性は、私よりも前に黒猫に気づいていたらしく
立ちすくみ、「す、すみませんすみません」と詫びている。
「あ、あたしここのマンションに住んでるんです。
あの、うちで手、洗いますか?」
何かを埋めようと必死な彼女。
「大丈夫です。近いので。ありがとうございます。」
私は家路へと歩き出した。
右手には買い物袋。
左手には黒猫の生温かい感触。
生きていた。黒猫はついさっきまで。
今頃になって、左手が震えてきた。
二倍に膨らんでしまいそうなくらいに脈打つ左手。
野良猫だろうか。地域猫だろうか。
飼い主がいるなら、探しに来るだろう。
震えながら、歩きながら、覚醒してゆく夜。
「命の行方」を見届ける 目を背けずに
いくつもの際を渡ってゆく この足で
この手で命の入れ物を運んでゆく せめて この手で
舎長 明神慈
二十代の夏 私はいつも奈良にいた。
奈良のお山の奥の奥。
そこには闇があり、水は懇々と溢れ、緑は影よりも濃い色を映していた。
今年も「あの感覚」が蘇ってくる。
奈良県吉野郡天川村壺内。
能の発祥の地、天河弁財天社は七夕祭りで賑わっていた。
大学生だった私は、胡蝶の舞を奉納するため
白地に牡丹の衣裳をまとい、相方のY嬢と橋掛を進んでいった。
檜舞台に乗り、祭壇を見上げたとき、息が出来ない自分に気が付いた。
あ、あれ?どうやって息ってするんだっけ?
金魚のように口を開けたら世界が崩れてしまう。
どうやって息、してたっけ?踊るとき???
思い出せないまま、私は無呼吸で踊り続けた。
参拝客でぎっしりと埋まった白い熱気。
音楽が私を追い立てる。
後ろ向きになったとき、思い出した。
「吐けばいいんだ!!」
吐いたら、必要な空気が入り込んできた。
呼吸を再開した私は、Y嬢と息を合わせて羽根を羽ばたかせた。
どうしてあんなことが起こったのか、そのときは分からなかった。
緊張していたのだろうか。
誰も気付くことのない
私が私の中でほんのいっとき溺れそうになっただけの出来事だ。
あのとき
祭壇を見上げたとき 何か 大きな何かに圧倒されたのだ。
そこはどこまでも続く 入り口 のようでもあった。
次の日
私は山を降り、奈良の市街をひとり自転車で回遊していた。
逃げ場のない、蒸し焼きの皿の上を辿っていくような午後。
目当ての寺には陰があり、そこで飲むラムネは命の水となった。
平城京跡を目指し、再びペダルを漕ぎ始める。
乾きはすぐに訪れた。汗が噴き出し、意識も朦朧としてくる。
足が勝手に動いているだけの午後。
やっとたどり着いた。
平城京跡。何もない更地。
木陰を探し、そこに自転車を止め、生い茂る草に身体を横たえた。
草の匂い。
荒い呼吸が地面に吸い取られてゆく。
空しいほどに蒼い空。
私は声をあげて泣いた。
生まれたての赤子のように泣いた。
悲しかったのではない。
悔しかったのでもない。
ただただ空っぽな空があったのだ。そこには。
目覚めると、夕暮れだった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
真空になる瞬間が訪れたとき、人は厳かに息を潜めるのだろうか。
誰に教えられるともなく。
真空になる瞬間に遭遇してしまったとき、人は驚きで呼吸を忘れるのだろうか。
そしてその後、堰を切ったように命の声が溢れ出す。
あの夏の日のふたつの出来事は
私を「ゼロ地点」へと立ち戻らせてくれる。
いつも これからも。
舎長 明神慈
もう何日もシャクヤクを眺めている
花瓶にひしめく赤紫と純白の花びらたち
蕾から 蜜が 滴っている
ひしめく大輪の花の中にあなたはいた
あなたは花の形を超えて命を燃やしている
その際立った存在に私はここから動けないでいる
あなたが散りゆく軌跡を見逃したくない
(それほどまでにあなたは美しい)
まっすぐに私とつながっているあなた
あなたが自分自身から飛び降りる瞬間に立ち会おうと
ただ ひたすら 待ちながら
花が咲くのを待ちわびた夜はいくつもあった
けれども こんなに こんなふうに幾夜も胸震わせて
散りゆく花を見届けたいと痛切に願ったことはない
桜は高い枝を風にそよがせ彼方へと旅に出る
あなたは あなたはこのまま足元に崩れてゆくのか
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
あなたは散らなかった
咲き誇った、広げきった翼のまま
ゆっくりと色を失ってゆく ゆっくりと枯れてゆく
枯れてもあなたは美しい
やはり私はここから動けない
舎長 明神慈
昨年は夏がなかなかやって来なかったので、花火で夏を満喫した。
一回目は浴衣着付け所作指導ワークショップの浴衣美女たちと夜の公園で。
兵庫の知人が送ってくれた日本産和紙ですべて手作りの線香花火。
風が強くて繊細な炎のダンスを楽しむことはできなかったが、
浴衣美女たちの「命短し〜恋せよ乙女〜」の唄に乗って、
沢山の命は美女の指先で戯れ、踊り、そして消えていった。
二回目は大人の遊びを知る友人たちと「畳屋」ごっこで集まった夜。
目隠し鬼、膝枕でしりとり、タマの腕枕、全身マッサージなどのメニューが
揃い出て、メインの友人の誕生日を祝った。
自分の誕生日も近かったので、セットで祝っていただいた。
ほろ酔いに下駄をつっかけ、公園に出かけ、
浴衣姿や作務衣の男女が光と闇を手に手にもてあそぶ夜。
やはり締めは線香花火。
さっきまであんなにはしゃいでいた大人たちが、
こんぺいとうを含んだような唇をしている。
いがいがをゆっくり溶かしてゆく閉じられた小さな海の入り口。
誰もがまだ地上に出てこない蝉を思い、線香花火の震える魂を見つめていた。
三回目は富山・利賀村の合宿。本物の闇が辺りを包んでいる。
明日は幼稚園でのワークショップ発表。ひたすら稽古に励む夜。
花火をやると聞いて、稽古中断。
窓から覗けば、ワークショップ講師のT女史や息子のKくん、
ワークショップ研究会のメンバーたちが光と煙の中で笑っていた。
足早に表に出て、遊びに加わる。
「ま〜ぜ〜て〜」
命の危険を知りつつ、美しさに心奪われる日本人の夏の遊び。
色とりどりの炎の花を咲かせる大きな子供たち。
魔法の文字で好きな人の名前を描いているかもしれないHさん。
「きれいだよ〜やす〜」とふざけるKさん。
炎は、切ないほどに私たちの内なる炎をくすぐる。
残り火を抱えて生き続ける人は、いつかまた燃え上がるのだろうか。
内なる炎がなくても、目の前の炎で充分に身も心も照らされる。
私は今、燃えているだろうか。それとも照らされているだけだろうか。
最後の線香花火が消え、私たちは全員「地上」に着地した。
舎長 明神慈
あれは2001年の夏。
着物を着るには暑すぎたので、私は浴衣で谷中を歩いていた。
スカイザバスハウスで和服美女空間の上演打ち合わせをするために。
打ち合わせ時間まであと少し。
芸大の脇を小股ながらに最高速度で歩いていると、信号に捕まった。
赤信号でも渡ろうと機会を伺っていると、背後から気弱そうな声がほにゃっと聞こえてきた。
「あのう、うちに着物があるんですけど、見に来ませんか?」
老女が私を見ている。
振り返ったものの、私は汗だく、心ここにあらずで
「すみません、急いでいるので。」
と言っているうちに信号が青になり、競馬の馬さながらにスタタと足を滑らせた。
幸い、リハーサルは押していた。間に合ったあ。
今思い出しても、心が痛む。
あのとき、私は仕事を選び、老女を排除した。
あの老女は、どんなに勇気を振り絞って私に声をかけたことだろう。
箪笥の中で眠っている明治・大正・昭和初期の絹の妖精たち。
それは人が着て動かないことには丸みをもってゆれることはない。
10秒あれば、自分の名刺を渡すこともできただろうに。
でも、見ず知らずの人に名刺を渡すのはやはり勇気がいる。
ならば彼女の電話番号を聞くことだってできたろう。
でも、あのときの私には心の余裕がなかった。
彼女の好意を受け止める器がなかったのだ。
この深い反省は次回に活せないままさらに上乗せされることになる。
昨年の夏、打ち合わせのため、馴れない京都をレースの着物を着て、日傘に隠れながら急いでいた。
道に迷ってしまった。完全に遅刻で、全身汗だくで意識が朦朧としてくる。
交差点で立ちつくしていると品のいい老女が信号待ちしている。
私は道を尋ねた。二つの通りの名前が交わる処。
老女は丁寧に道を教えてくれた。そして、途中まで一緒に行きましょうとさえ言ってくれた。
うれしかったのに、私はまたもやこう言ってしまった。
「ありがとうございます。でも急いでいるので。」
老女を残し、私は走った。
蒸し風呂の京都を小走りに辿りながら、いつの頃からかず〜っとこうやって
走ってきただけの自分に、あきれ、どうでもよくなっていた。
人類ポかリン計画は「人々がもっと楽に呼吸ができるようになる方法」を提示してゆくことなのに。
自分の姿といったら。もうすぐ魔がさしてくる。心の逢魔が時がやってくる。
転ばないと気付かない報復の悪循環にはまってしまう。
上がった横隔膜を即座に下ろす方法なら知っている。
しか〜し、流れる汗は止められない。
幸い、打ち合わせは実りある時間となった。
届かないと知りつつも谷中と京都に暮らす二人の大和撫子に、二人の好意に心から感謝の意を表します。
そして、今年は着物で走らないようにします。なるべく。。。
舎長 明神慈
大切な人から手紙が届いた。
藍色のインキが私の新しい住所を綴っている。
懐かしい筆跡。封を切る。
力の抜けたペン先がするすると動いたようで。
私の中にするすると入ってくる。
二枚目の最後の行辺りで、あなたの意識が止まったので
私も 立ち止まってしまった。
あなたはことばを慎重に選んで 心のドアを閉ざしてしまった。
三枚目からは、時間をおいて書き始めたのだろう。
あなたは素直な心のままに、涙をこぼしたことを綴っている。
「言葉では表せません」
・・・それを人は何と呼ぶのだろう。
鳥や花は知っているのだろうか。
私があなたに送った手紙は、あなたの鏡となり
私が受け取ったあなたからの手紙は、大切な大切な標となった。
この手紙さえあれば、どこまでも歩いてゆけるくらいに。
あなたの涙が、自分を責めているからなのか
見えない大きな流れのようなものに気付いてしまったからなのか
それとも、長い長い眠りから目覚めたからなのか
私には分からない。
あなたの眼を見ているわけではないから。
嘘がつけないあなたの。嘘なんてつきたくもなかったあなたの。
あなたは私を鏡にしているから、鏡に映る自分を見つめているのですよ。
私を見つめる無邪気さをいつしか忘れてしまったあなた。
すべての人を、そうやって見つめているかもしれないあなた。
手紙は三枚目の真ん中で体勢を立て直し、あなたは再び私を溶かし、
五枚目の真ん中で筆を置いた。
ある友人が言った。
「七回読むと自分のものになるわ」
叶うなら、あなたが涙でしか描けない、その「何か」を私は知りたい。
いいえ。あなたの涙に私も濡れたい。
すべてが流れて、溶けだしてしまったら
次の場所へ行けそうな気がするから。
大切な大切なあなたへ。
舎長 明神慈
奈良の山奥。天川村「壺内」で真夜中のお散歩。
残り少ない夏休みの宵はふけてゆくばかり。
四方を深い深い山に囲まれたこの地は南朝の朝廷があった由々しき処。
追われる者は山へ逃げる。
時折、山光り。そして鎮座する闇。
「一人で歩いたら発狂するかも。」
S君がふざける。
人は恐怖に押しつぶされるのが好きだ。
(愛する人に逢いにゆくのなら、この闇さえも手探りで進んでゆくだろう。)
真っ暗な鎮魂殿からの帰り。やっと民家の灯りが友の輪郭を映し始めた。
安堵に心ほぐれて歩みを軽やかに転がせば、追いかけてくるのは後ろの電灯から伸びてきた三つの影。
なーんだ。私たち三人の影だった。
曇り空の向こうに流れる天の川を思う。
聞こえるのは雨の音に似た川の流れ。気の早い虫の声。
赤い欄干の橋の側に、お宿がある。
ここを流れる天川と空に流れる天の川は丁度十字になると誰かが言っていた。
幾度もこの地を訪れたのは、星で埋め尽くされたあの空を忘れられないから。
七夕祭りの何百もの灯籠の暖かい灯りが、私の命を思い出させてくれるから。
水が生まれるこの地で、自分をからっぽにできるから。
S君が道の真ん中で棒きれのようなものを見つけた。
小さな四つ辻の真ん中で。
懐中電灯で照らすと太〜いミミズだった。
ほとんど垂直に運動している。
ミミズって、もっとしなるのかと思っていた。
それは釣りの餌でカギ針にかけられるとき悶えていたからかしら。
ミミズには眼がない。
この四つ辻の左側は畑。右の畑から勇猛果敢な旅に出たミミズ。
後の二方はコンクリートと石垣で守られた家が建ち並ぶ。
選択を間違えると死が待っている。
早起きな小鳥の朝ご飯になるか、アスファルトの熱で干からびるか、
車に轢かれるか。猫のおもちゃになるか。
その行く末を見届けようかと思ったが、あまりにも時間がかかるのでお宿に帰ることにした。
「大丈夫そうだ。」
S君が懐中電灯を消した。
ミミズの歩は畑の方へ舵取りしたようにも見えた。
始まったばかりの彼の旅を、見守るのは夜風と曇り空。
夜露にすっかり冷えた身体を、新しい畳で迎えてくれたお宿に運ぶ。
夜の旅の続きは、お宿で身体を暖めたら、初めてこの地に足を踏み入れた
Rちゃんの一言から流れ出すのだろう。
もう眠っているKさんの寝顔を眺めながら。
名残惜しい夜をそっとそっと引き延ばしながら。
舎長 明神慈
久しぶりに会ったあなたは
私とお風呂に入っている
背中をすべってゆくのは無数の雫
すぐにのぼせてしまう二人は満月を思い
岩場で湯気の行方を眺めている
裸なのに あなたは遠い
服を着たあなたは 少し安心している
でもすぐに凍えだすあなた
自分を守る方法をあなたは
自分を殺すことで実行してしまった
私がその方法を選んだとき
もう10年も前のこと
決して戻りたくない沼の底
水面がどこなのか見えるはずもない 色のない夢が続く場所
あなたがこちら側に帰ってこれるように
私はこの岸辺にいよう
あなたは浮かぶことを思い出せる人だから
今は届かないと知っていても
あなたが眠る沼底へと歌を歌おう
そう
沼の水面にも月は映る
あなたが見上げれば 月光はあなたの死を洗い流す
そのときあなたは
こどものように こどものように 涙に濡れる
舎長 明神慈
この夏は引っ越しをしたので、春、定例の朝顔棚は作らなかった。
庭の銀杏や梅の木は友人の家にもらわれていった。
鉢植えの植物たちは新しい住処を青々と取り巻いている。
真夏に、月下美人の鉢からひょろひょろと朝顔が双葉を出していた。
弱々しい茎。
去年収穫し忘れた種が、鉢に落ちたのだろう。
何色の花だろう。
抜かずにこの夏越せるか、見守ることにした。
インドネシアから帰ってきて、身体を休めていた台風の夜。
彼女は小さな蕾をふたつつけていた。
ごうごうと打ち付ける雨風。耳鳴りのように遠くで聴いていた浅い眠りの夜。
次の日の朝、心配で表に出てみた。
白い丸い花びらが浮かんでいる。
去年よりもずいぶんと小振りだけれど、繊細なドレスを広げている。
愛しさに、口づけていた。
すぐそこで、明日咲く蕾が、口づけられるのを待っている。
その日の夜半過ぎ、表へ出た。彼女に会いに。
ゆっくりと開き始めた二つ目の花にそっと口づけた。
花は咲くとき、人肌ほどの熱を発する。
全身全霊でその花の魂の色を開くときだから。
長く暮らしたあの部屋の庭でも、こぼれ落ちた小さな命たちが
夏に向かって螺旋を描いていたのかもしれない。
知らない誰かの目を楽しませたのかもしれない。
タプタプとゆれているのは、飲みかけのミネラルウオーター。
カバンの中で、歩くリズムに寄り添って丸い音をたてる。
私が急げばポムポムとうねり、ゆったり歩けばプムムムと流れる。
満タンの水は、ゆれることができない。
容器そのものに真空に呼応してしまっているから。
ほんの少し、戯れるための隙間をもつと、音楽が生まれる。
あちら側とこちら側の境界線でゆらぐことができる。
魚たちが水面を弧を描きながら飛んで遊ぶのは、それを知っているからだろうか。
海の底の深海魚たちは、水面の危うさを知ることもなく、
遠く淡い月光にその姿を映しているのだろうか。
水から生まれる命。水で失う命。
水平線は、空と海さえ曖昧に溶かし、
波打ち際では、私たちを水底まで連れ込もうと誘い続ける波の囁き。
渇いたのどに水が流れてゆく。
私は満たされ、私と共にゆれた小さな海は消えた。
舎長 明神慈
変化の前には予兆がある。
きっと小動物たちはそれに敏感に対処するのだろう。
この半年、ある現象が続いていた。
両手に、何かを握っているように力が入っているのだ。ずっと。
眠りについてもそれはおさまらず、赤ちゃんの手のように指が
内側に巻き付いてしまい、微熱を含んだまま、別の鼓動を打っている。
演劇やパフォーマンスの稽古場では「首、肩、腕から指先まで蜜がしたたっている
ように」と日々口にしているのに、自分の手にエネルギーが渋滞しているのだ。
よろしくない。
体感したことのない感覚が続くのは、怖い。
目を閉じて、楽器をもたないミュージシャンの所在なさを描いてみる。
この手は、何をもてばしっくりと馴染んだものになるのだろう。
あらゆる事象を手放してゆく(浮遊させる)作業を進めているというのに。
そんな自分が笑えてくる。 両極にある島をおろおろと行き来する様が。
呼吸を深くしても、力が在るべき処に帰らないのならば、
そういう自分としばらく向き合ってゆくしかない。
ある日、手のひらを見て驚いた。
ふくふくと盛り上がっている両手。赤みを帯びた肉球のように弾力がある。
他者にやわらかく触れることができる、自分をも守ることができる手になっていた。
細くて薄くて、頼りなかった手が。
思春期の頃の、胸の痛みと不安を思い出していた。
痛みの先に、他者に与えるためのなだらかな丘はつくられる。
微熱は続いている。
この手で人とつながってゆく。
舎長 明神慈
首が苦しいと思ったら
セーターを後ろ前に着ていた。
この半日、気づかなかったのは
うつむくことをしなかったからか。
この前向きさ加減といったら。
うつむくと、タッグの布が
のどにザラリとまとわりついてくる。
私は、うつむくことを一度もしないで
うす曇りの半日を黙々と動いていたのだろうか。
誰にも気づかれずに。
きっと痛みも(うつうつとした)こんなふうに
誰にも気づかれない場所で
その根を伸ばしてゆくのだろう。
気がついたときには
人前でそれを脱ぐことができないくらいに
裏も表もがんじがらめになっているのだろう。
からんでいるうちに
からまっているうちに
表も裏も自分の出入り口であることに気づいたなら
そんなもの、脱ぎ捨ててしまうこともできるだろう。
吐息と一緒に、冬の夜空に昇ってゆくだろう。
舎長 明神慈
それは、ひとつの時空をつくるため、その地図を描き続けている者ならば
胸から離れることのないフレーズだ。
いい役者って、どういう人のことをいうのだろうか。
それは作者、演出者によって異なるだろう。というより、好みだ。
私は本を書いて、演出もする。ポかリン記憶舎で必要とされている役者の条件は
「明日、月に帰ります」と口にして、それを「ああ、あの人ならねえ。」と納得
させられる、するりとした感触をもっている人・・・である。
人であることを忘れさせてくれる生き物の輝きをもっているかどうか。
役者は舞台上で時空を動かす。
過去も未来も抱き込んだ「今」を体現し、
三次元にいながらにして、さらなる次元への扉を容易に開ける。
ポかリン記憶舎の時空間は「地上3cmに浮かぶ楽園」だ。
日常からふっと外れた空っぽな時間。
天と地をつなぐこの身体が浮遊する時間。
いい役者はその時、銀色に輝いている。
そして、背中の貝殻骨の辺りに小さな羽根を生やしている。
その羽根はふわふわといろんな色や形の波紋をつくりだし、
劇場を心地よい波で満たしてゆく。
それはきっと、生まれもったものなのだろう。
羽根の痕は、誰もの背中についている。
しかし、羽根が生えている人はそんなにはいない。
羽根は簡単にもげてしまう。
それに気づかないままの人もいるだろう。
そんな危うい羽根なんて、もっていない方がいいのかもしれない。
決して飛べるわけではないのだから。
かつて、羽根があったことを知っている人も、不思議な輝きをもっている。
羽根の記憶を心の中で浮遊させる力をもっている人。
かつての羽根の羽ばたきを瞬きで再現できる人。
そういう人たちを見かけたら、教えて下さい。
心羽ばたかせてその人に会いに行きたいから。
舎長 明神慈
いつも使っているカバンの底に金粉のようなものがたまっている。
直径3mmくらいの平らなさらさらした粉。
何だろう。何かがこぼれたのだろうか。
カバンを逆さにしてその原因を探る。
何もそれらしき正体の元は見つからない。
ノートも、手帳もキラキラしている。
金粉を庭にまいて、その場を通過した。
次の日の夜、カバンを覗くとやはり金粉。
えええええ。
何も見つからない。
金粉はサラサラと庭に舞う。
そんなことが幾夜も続いた。
金色の蝶の金粉が夜な夜なカバンから溢れ出る。
その姿はきっと優美で、このカバンからつながっている別の世界から
微かなしるしのようなものを見せてくれているとしたら。
妹が言った。
「化粧ポーチの中の、それじゃないの?」
「え?」
「それ。」
メッシュの化粧ポーチから取り出したのは、薔薇の匂い袋。
手にとっても何ともない。小さな封筒状のものだ。
振ってみると、脇からキラキラと金粉が舞った。
「うはー、これだったのかあ。」
蝶を呼ぶかもしれない花の香だったのね。
カバンの中を少しずつ、少しずつ金色に染めつつあったその匂い袋。
もうほとんど空だ。
いつか匂いがなくなることを知りつつも、決して開かれることもない
その封を、忘れかけていた頃だった。
最後の金色のかけらたちを、庭にまいた。
還れるものならば土に還って眠って欲しい。
夜の闇に、蝶のような遊覧を描いてから窓を閉めた。
舎長 明神慈
着物の美しさに魅せられたのはいつだったか。
妹は母の宝石箱をよく開けていたが、私は桐タンスだった。
樟脳が鼻につくたとう紙を丁寧に広げては、四季の花咲き乱れる着物や、
鳥や蝶がが羽根広げる帯に見とれていた。
心地よい絹の感触。
まっすぐな線と、平らな面で成り立っている着物。
まとうと、得もいわれぬ曲線を醸し出す。
歩くと裾がさわさわとゆれ、両手を広げると袖が羽根になる。
帯に守られた子宮はほんわりと浮かび、そのエネルギーを足元まで送り込む。
風邪をひいてフラフラでも、着物を着ると足元から頭の先まで気が通って、
しゃんとするのが分かる。
役者さんに着付けをしたり、仕事で着付けをすることがある。
その人の身体に線を馴染ませてゆくのは楽しいひとときだ。
私の「気」は、その人の呼吸に沿って、ここしかない輪郭をなぞってゆく。
「気持ちいい。」
多くの人が、今生まれたようなやわらかい声を出す。
目覚めてゆく人を見ているのは至福の時だ。
着物を着始めた頃は、締め付けることから凛とした美しさを知ってゆく。
かなり、マゾ的に。
そしてそのうち、ゆるめていい箇所と、ここだけは外せない締点が分かってくる。
そうすると、しなやかな美しさが内側から弓なりに顕れてくる。
背中から色気が立ち昇ってくる。
絹が、呼吸をし始める。
私たち人は美しい生き物であることを、後ろ姿で、思い出す。
舎長 明神慈
私の右足はリズムを大きく崩すときがある。
突然大きく踏み出してしまうのだ。
よく、階段の昇り降りでガクッと身体が宙を舞うことがある。
それは流れている時間が逆流するうねりのようでとても恐ろしい瞬間だ。
右足は階段を一段ぬかしてしまうほどに空を切ってしまう。
無意識のときに、それはよく起こる。
死と直結していることも、知っている。
たぶん、別人格が潜んでいる。この、右足に。
身体はひとつしかないのに、足は二本あるから。
先へ先へ行こうとする右足。
今の自分を支えるよりも、その先へ行こうとするこの足。
生き急ぎたいこの足。
その先にあるのは、究極は到達点のない欲望と、死だ。
いつだったか。
駅の混雑した階段の終わりに、人だかりが。
そこには頭から血を出した老人が横たわっていた。
意識はないらしい。
ヒトデのように手足を投げ出し、動く気配のない老人。
その鮮明な血の赤に、私は心奪われた。
老いているのに、地味な衣服からは信じられないほどの
美しい色を内に持っている。
この人は死ぬかもしれない。
それと引き替えに、生き血をさらしながら、多くの人を今、
釘付けにしている老人。
その老人の足は、どちら側が空を切ったのだろうか。
私の右足は、いつも生と死の境界線を、教えてくれる。
今というあやうさを思い知る。
その狭間で、やはり私は楽園を出現させる作業を続けるだろう。
今の私を支えてくれる、この左足がある限り。
舎長 明神慈
何年前の初夏だったのでしょうか。
アゴラ劇場でお芝居を観て、渋谷まで歩こうと静かな住宅街に
入り込んで、迷ってしまったことがありました。
きっと、いろんなことにも迷っていました。
坂道をくたくたの足で上っていたのか、下っていたのか。
何とも甘い香りに呼吸が深くなり、意識が鮮明になったのです。
香りに誘われるままにその主を捜し歩くと、
足元に手のひら小のしっとりした花びらが落ちていました。
おそらく白かったであろうその花びらを手にし、青く繁った大木を見上げても、
花の姿は高い梢に天に向かって咲いている様子。遠すぎる花の輪郭。
私は恋をしていました。
羽根がないことを悔やみました。
せめてその花びらから、花の大きさを想像しました。
その木の名前は「泰山木」といいます。
彼女は、「彼女」という通り、女です。
私は小さな虫となり、彼女の甘い蜜に誘われるままに夏を待つようになりました。
何処を歩いていても、泰山木を探すようになりました。
見つけてはフェンスに上り、枝に手を伸ばし、乳白色の大輪の花に顔をうずめました。
離れていた恋人に出会えたような愛しさと懐かしい感触に、涙溢れるひととき。
今頃、つやつやした葉に守られて、赤い実を熟させていることでしょう。
小鳥たちがその実を運んでゆくのでしょう。
それぞれの花の咲く時期を、大切な人の心が熟してゆくまで、
その目の前にいる人さえ待てないと言うあの人の、
まだ人を愛せない未熟な心が、赤く色付いてゆきますように。
満ちてゆきますように。
秋の公演が終わったら、彼女に、泰山木に会いに行きたい夜更けの戯言。
舎長 明神慈
口の中で飴玉が溶けてゆく。
甘酸っぱい記憶も溶けてゆく。
粉々に噛み砕いてみたい衝動に駆られるときもある。
ゆっくり泳がせていたいときもある。
だんだん甘いのか酸っぱいのか分からなくなってくる。
粘膜が蜜で満たされている。
舌の動かし方で飴玉は歪にも平らにもなる。
やがて最後の固形の感触は溶けきり
甘い渇きがゆらゆらとうなじの辺りまで下りてくる。
それは夏の日の汗のように下りてくる。
渇きは、満たされた瞬間に訪れる。
どうしたらいい?
どうすればいい?
私の手の中でゆっくりと溶けてゆく飴玉。
路上で粉々に砕けてしまった飴玉。
私の口の中で透き通りながら飴玉は溶けた。
もう、何色だったかも思い出せない。
舎長 明神慈
満月の夜、自転車を走らせる。
ビールを買いに。ワインも買いに。
夜風はほの湿った肌触り。
つんとする草の匂いに呼吸が深くなる。
栗の花だよ
あなたは言った。
今頃になると咲くよ
黄緑色の長細い房が、きっと夜風に揺れている。
ほろ酔いな鼻孔に心地良い黄緑色の刺激。
まるい月がどこまでも追ってくる。
どこまでも。どこまでも。
透明なあなたの言葉が私の中で車輪みたいに廻ってる。
夜風に消えてしまってもいいくらいたわいのない言葉。
廻ってる。廻ってる。
鼻孔の奥で、ほろ酔いに混ざってる。
信号の先の酒屋が閉まっていれば、もう少し走っていられるのに。
どこまでも夜を泳いでゆけそうなのに。
泳いでゆけそうなのに。
舎長 明神慈
夢を見た。
悲しい夢だった。
目覚めたまま、私は起きあがることが出来なかった。
重力よりも重くのしかかってくるのは必ず目覚める救いのようなものなのか、
夢というもうひとつの世界で私が犯してしまってる見えない罪なのか。
幼なじみが目の前にいた。ショートカットの細身な女性。
私は彼女を知らなかった。
彼女の使命は私を殺すこと。
刃物を持って、追いかけてくる。
どこまでもどこまでも。
私は、逃げた。
逃げながら彼女が追いかけてくる理由を尋ねた。
教えてくれない。
どうして追いかけられているのか、分からない。
逃げながら説得をする。
聞いてくれない。
うまく逃げられた。
しかし、必ず彼女は私を見つけだし、追いかけてくる。
きっと、死ぬまで追いかけてくる。
彼女を生かしているエネルギーはそれだけだった。
周りにある物を投げながら私は逃げた。
こうなったら、私の命を差し出すことが私の運命のようにも思えてきた。
この関係を終わらせる自然の法則。逃げるのをやめる。そして・・・。
でも、私は生きたい。
やりたいことがあるのだ。
それを始めたばかりなのに。
私は、戦う決心をした。
彼女を殺すかもしれない。
私は足を止め、彼女を見た。
椅子を抱え持って彼女に向かうべく呼吸を下ろしたところで
目が覚めた。
空気が私の中に満ちてゆく潮のように入ってきた。
こうして、人は何かを終わらせるための戦いを続けなければいけない生き物
だとしたら。涙はそのためにあるのかもしれない。
彼女は、それ以降私の前に現れない。
舎長 明神慈
毎年春になると必ず見る夢がある。
それはつくし(土筆)を摘む夢だ。
その愛らしさとほろ苦い大人の味が春の山菜として、
私の心をとらえつづけているのだろう
夢の中ではなぜか普通の道端につくしがちょこんと生えていて、
「あら」なんてしゃがんで摘んでいるうちに、
あ、あっちにもこっちにも見たいな感じでつくし狩りは行われる。
一度、アーケードに点々と生えているつくしを摘んだこともあった。
どうせ夢の中なんだから菜の花畑やられんげ畑のあぜ道に生えていたっていいのに。
残念なことに今年はつくし狩りの夢を見なかった。
見たけど覚えてないのかしら。
でも、先日、梅林の足元一面に スギナ(杉菜)が生えていて、
その細い菜をそよそよさわっていたら、 見つけてしまったつくし一本。
旬を過ぎ、一人遅れて顔を出している つくしは、
すっかり大人になって姿を変えたスギナに隠れるようにひっそりとたたずんでいたのだった。
夢よりも現で会える方が嬉しさも倍になる。
色もにおいも、手触りも、楽しむことができるから。
来年の春もまた会えるとうれしい。
ゆっくりと時間をつくって、 雪解けの野原一面のつくし達に出会い、
夢中で収穫の喜びを 味わい尽くしてみたいですね。
つくしは佃煮もいいけど、玉子とじにするとおいしいんだ、すごく。
酒の肴にもいいですよ。
山菜採り、温泉、おいしいお酒、この3点セットで。
舎長 明神慈
宴は楽しい。夢のようなひとときだったりする。
夏に催した恒例の納涼の宴、「浴衣で屋形・ポか2000年の夏」は、
ゆらゆら屋形船の上で、川風やカモメと戯れながら、
爪弾く三味線の音色や色っぽい端唄に酔いしれてなかなか風流なものだった。
南京玉簾の見せ物に拍手喝采、美味しいお酒と料理とあちこちでひらひらと舞う団扇たち。
なぜかねぶた踊りに進化して畳の上を跳ね回って、
打ち上げ花火のようなにぎにぎしさで幕を閉じたのだった。
来年の夏は,三味線プラス笛・太鼓で、音楽隊もヴァージョンアップ。
粋な踊り子が、舞を舞い、夢心地の水上の楽園をお届けの予定。
地上よりも、水の上は人々の心をふわふわと浮かばせる。
船酔いする前に酔っぱらってしまえば、これがまたいい感じ。
地上に帰ってきても、もう一つのお楽しみ。その夜は波のような不思議なゆれが
三半規管に心地良く残っている。スキーの後の寝床の中、
眠りながら足が滑ってうなるような不思議な感覚。
来年はどんな浴衣を着ようかしらと心は次の夏へと飛んでゆくのだった。
船遊びは、やめられませんね。
どこまでもどこまでも泳いでいけるような気がするから。
舎長 明神慈
呼吸をするように、有限なこの世界を波打ちつづける私達。
すって、はいて、すって、はいて、五感のすべてで他者を認識し、
手をつないでゆける魂の持ち主を探している。
いろんな人に会える。
その人の呼吸の速さや深さは、その人の心と身体を大きく支配している。
他者と空間を共有したいと願っている人の呼吸は深く、ゆったりとしている。
自分のヴェクトルを真っ先に示したい人、
そのヴェクトルをまだ定められていない人の
呼吸は浅く、スーハーという呼吸音が絶えず聞こえてくる。
リラックスしている時、呼吸はゆったりと深い。
いつもいつもそうしていられないけど、どちらをベースにおくかで、
死ぬまで続く呼吸ともっとうまくやっていける方法が見えてくるように思える。
理不尽さに胸ふるえたり、怒りのエネルギーでいっぱいになると、
横隔膜は簡単にあがり、身体は硬くなり、呼吸は浅く、激しくなる。
おもしろおかしい出来事におなかをかかえて笑い転げている時も、
激しく横隔膜がゆれる。
呼吸はお腹の底からはききっているので、深いのだけれど、小刻みだ。
感極まってなき咽ぶ時、人はあふれ続ける泉に溺れないように、
短く素早く酸素をとり入れる。
ひっくひっくと不思議なリズムが響き出す。
私達は自分の中にリズムを持っている。いろんなリズム。
心地良いリズムを持ち寄って、楽園をつくってゆきたいと願う日々。
だから、探しているのです。
手をつないでゆける魂の持ち主を。
舎長 明神慈
心がキュイーンと鼻鳴らす時がある。その時、私は子犬の気持ちになっている。
しっぽや耳は引力と仲良くなり、小腹もきっとすいている。
見えない鎖にがんじがらめになっていたり。首輪さえ外れてしまって、
見知らぬ場所に宙ぶらりんに彷徨っていることに気付いてしまったりした時に。
好きな人が目の前にいるのにここにいなかったり、
嘘をついていることが見えてしまう時に。
そんなことはいつも忘れて、あちこちで春が生まれている街を歩いている。
でも、時間が止まるように子犬の気持ちエリアに立ち止まってしまうことがある。
それは銀行の前であることが多い。スーパーや文房具店、喫茶店だったりもする。
ほどよい鉄柱に鎖をつながれ、ご主人様を待ち続けている犬。
小型犬でも大型犬でもなんだか小さく身をかがめて、ただひたすらに待っている。
ご主人様を。
何ができる?待つことだ。無駄なエネルギーを使うことなく、
呼吸さえ密やかに、犬は待っている。
鎖をほどこうなんて夢にも思わず。
きっと帰ってくる。小一時間で。見知らぬ人に「かわいー」ってかけよられたら、
ちっとは愛嬌も振りまくけれど、
全身で「おかえり!」って飛びつきたいのはやっぱりご主人様なのだ。
もし夜になってもご主人様が帰ってこなかったら,その時は、鎖を噛み切ってでも探しに行くだろう。
ま、そんなことはないけど。
今日のばんごはん、なんだろう。
犬の寿命は、人間の六分の一くらいだ。たいてい、犬のほうが先に逝く。
その運命を知っていて、人は犬と共に生きている。
犬は時間軸の違いなど考えることもなく、ただご主人様と遊んだり、日溜まりで眠ったり、発情したり、
ウォンウォン吠えたりの毎日をただ、生きる。
よけいなことを取り除いて、愛に服従する日々よ。
言葉なんていらないのです。
そんな、楽園。
舎長 明神慈
私たちは皮膚といううすい皮で、世界と自分を分けている。
私の内側と外の世界とがビビッとつながる時がある。
それは懐かしくて新しい、電気が走るような目覚めの時だ。
その感覚を「感動する」と呼んでいることが多い。
感動すると、鳥肌が立つひとが多い。
瞳孔が開いたり、涙が流れたり、身体の重さを忘れたり、口が開いてたり。
たいてい心の窓が開くと、身体は開いている。
でも、鳥肌が立つって、もともとは外界に体温を放出しないように、
自分を守るために起こる現象だ。皮膚の内と外で何が起きているのだろう。
一つ一つの毛穴が、いっせいにピピッと丸くとがるのは、
眠っていた細胞たちが目を覚ますような、そんな幸せな瞬間のような気さえしてくる。
何人かの人に聞いてみた。感動した時に、鳥肌が走る場所がどこなのか。
ある人は、背中の貝殻骨の辺り(羽根が生えていた場所ね)。
ある人は、首から肩、二の腕にかけて。
だいたい上半身だ。
私は太ももだ。太ももがぞわーっとざわめく。
たまに足の付け根の健がピクッと動いたり。腰まで上がってくることもある。
それはとても幸せな瞬間で、人や世界に向き合えて、その場所で溶け合えていられることに、
心地よく震えていることができる自分を確かめられるのだ。
もっともっとそんな時間に出会いたいし、それをたくさんの人と共有したい。
だから私は書くだろうし、空間づくりに励むだろう。
散歩したり、温泉に行ったり、かんざし博物館に通ったりするだろう。
皮膚の内と外がつながる瞬間に出会うために。
舎長 明神慈
ある人が言った。
「一度でいいからモテてモテてもうモテモテで困ってみたい」と。
周りの者も口々に言う。「ほんとだよ〜」。
モテるって、どういうことだろう。辞書を引いてみる。
【もてる】もてはやされる。ちやほやされる。人気がある。
【もてはやす】ほめそやす。盛んにほめたたえる。
他者からほめられたい、ということね。
始めに「モテたい」と口にした人やそれに賛同した人達は異性にモテたいということだったと思う。
異性からも同性からも、いわゆる老若男女からもモテるのは悪いことではない。
犬や猫に妙にモテるひとがいる。
自分が動物好きでうりうり可愛がることに情熱を注いでいる人のことではない。
犬や猫の方から熱いまなざしを受ける人のことだ。
「モテる人」‥‥困ってしまうほどにモテる人はいるだろう。
モテるのが生き甲斐でそれをエネルギーに生活している人はいいとして、
本当に困ってしまうほどにモテて、夜もおちおち眠れないとしたらどうだろう。
人を好きになるエネルギーは計り知れない。
自分をコントロールできなくなるし、他者との距離感が保てなくなる。
幸いなことに、そのエネルギーは形を変える。
ある人が言った。「モテてモテて困ったことある?」
その人はやつれて「オレ死ぬかもしれない」とも言った。
その人は、オレってモテるんだよね〜(キラリ)、という類の人ではない。
ぐったりその様子から、モテてモテて、そして好き好きエネルギーをぎゅうぎゅう
送ってくる女性たちに生活そのもののペースをそうとう脅かされているのだろう。
モテる時期というのか、「どうしたの世界は!!」状態の期間が訪れることがある。
そんなに私(僕)に集中してこなくても、ホラ、周りにもステキな人はいるのにー。
うわ〜やめて〜。というような。
それは祭りのように華やかに盛り上がりをみせる。
モテてモテて困ってみたいと口にした人はとても魅力的な人だ。
浮いた話を聞かない方が不思議なくらいに。
今年辺り、彼女に祭りが訪れるような気がする。
彼女は踊るだろう。
こうなったら寝食を忘れ、気を失うまで踊り続けて欲しい。
目が覚めたとき、彼女は何と口にするだろうか。
「あ〜、楽しかった」「こんなもんか」「もう‥‥結構」
できるなら一人の異性と向き合う作業をていねいにして欲しいなどと考えてしまう。
それは自分自身じっくり向き合うことになるのだから。
どこまで脱いでいいのか、迷いながら。
舎長 明神慈
人は眠る。眠りは私に様々なイメージをくれる。
好きな言葉はなんですか?と聞かれたら(聞かれたことないけど)
「おやすみ」と言うだろう。
眠りというもうひとつの時空間への入り口で言うことば。
夜の電話で受話器を置く前に「おやすみ」は自然と口をついて現れる。
「おやすみなさい」という響きはやさしい。
「おはよう」や「いただきます」とはエネルギーも違う。
自分のスイッチをOFFにする前のことば。休むことは大切だ。
真夜中の友人との電話で、「おやすみ」には自分の名前
「やす」が入っていることによって更に好き度が高いことに気づいた。
じゃあ友人はどうだろう。けいこ。
「お稽古してる?」それは嫌だと友人に言われた。
ひろし・・・「この世は広しといえども・・・」どうだろう。
まこと・・・「誠に申し訳ございません」それもどうかという感じだ。
やすに戻る「そうやすやすとやってのけられると思ったら大間違いだ。」
「安いよ安いよ!」「休んだ方がいいよ、ほんと。」「安らかなお顔で・・・。」
そう、「すやすや」という静かな眠りもやさしい響きだ。
待ち合わせなどで相手がなかなか現れないときは
いろんな人の名前でしっくりくるものを探してみて下さい。
夜の闇が私の瞼に集まり始めました。そろそろ私も眠ることにします。
おしいまいに、夜に溶けてゆく最後のことば「おやすみなさい」を
あなたに贈ります。そしてよい夢を。またこちら側に戻ってきて下さいね。
舎長 明神慈
ある人に指摘された。「自転車すきなんですね」と。
「風が起きるでしょ。ペダルこぎだすと」と私。
自転車ってすごい。くるくるとペダルをこぐと、世界は動きだし、スカートは
広がるし、髪なんてさわさわ音をたて始める。バイク好きな人から言わせれば、
そんな喜びは小川のせせらぎのようにチョロチョロしたものかもしれないが、
私のエネルギーには丁度よい。26インチのカゴ付の青い自転車。
自転車は様々な軌跡をつくりだすことができる。くちなしの香りにフラフラと
引き寄せられたり、欅並木や桜並木を波打つようにゆっくりハンドルをゆらし
続けたり。並木の梢越しに浮かぶ少し欠けた月を追いかけるのは、
楽しくも切ない、冷んやりとした時となる。
並木の下を駆け抜けると、枝葉たちの呼吸と供に、かすかな雨のように、その水分が
落ちてくるのが分かる。自転車のスピードはゆるめたり、速めたりしながら
その雨との出会いの曲線を進む。
自転車に乗ると、鼻歌を歌わずにはいられない。
それは恥ずかしさと隣り合わせの快楽だ。「フンフン〜」
あ、前から人が歩いてくる。少しずつ音量をしぼっていって、すまして
すれ違ったなら、また少しずつ音量を上げてゆく。
歩いてゆく人を追い抜かすときも、そのようにする。車はまったく気にしません。
信号待ちで窓の開いている車の隣に停車したなら、口の中で音無で回すから。
バイクも気にしません。あっちがブルンブルン言ってるから。
やっかいなのは相手が自転車の場合で、それもサビの部分で盛り上がっているにも
かかわらず、後ろで私を追い抜かそうともせず、同じ速度で進んでいる場合だ。
気付かなければ幸せだが、サビを通り越して自分のこぐペダル音とは違う音が
耳に入ってきたりしたら、もう方法は限られてくる。
次の角を曲がるか、スピードを上げて走り去るか、相手が抜き去ってくれるのを
祈るか、その辺の店に立ち寄るふりをしてブレーキをかけるか。
…もちろん歌いながら。後ろをふり向かずに。
「ごきげんだね」と声をかけられた時は、はずかしさののあまり笑顔をつくりつつ
走り去ることしかできなかったが、あの、他者との一瞬のコミニュケーションは
不思議な時空の垂直感がある。
携帯電話のアンテナがビビッととそこだけ立つみたいな。
そんな時間や場所は、これからどれくらい見つけられるだろう。
私は足がある限り、自転車に乗り続けるだろう。
風は待っていなくても、自力で起こせるから。
舎長 明神慈
世界中の耳かきを集めて、耳かき屋をしたい。
これは私の密やかな夢だ。
縦長の店内には一面に世界中の耳かきが並び、
奥の襖を開けると二畳の青い畳の上に私が正座している。
お客様は店内で好きな耳かきを選び、二つの耳を私に預ける。
もちろんお客様の好きな音楽が流れている中で。
耳かきという快楽は耳かきをする側とされる側に存在する。
私は前者だ。これは収穫の喜びが多くを占めている。
様々なカーブを持つ洞窟のようなその場所に眠っている
「耳くそ」をいかにその形のまま取り出すかにも情熱を燃やすところだ。
きれいな耳よりもじっくり取り組める耳の方が嬉しかったりする。
耳くそはコナコナでもしっとりでも構わない。
片耳ずつ違う人もいて、その小宇宙はとても興味深い。
耳かきをされる側はまず身体を預ける勇気が必要だ。
無防備な姿をさらけだすことになるからだ。
耳かきは危険を伴う作業であるので、耳かきをする人に信頼のようなものがないと、
いざ、膝枕に頭をのせてもしっくりとは落ちつかない。
緊張は膝を通して伝わってゆく。
身体も時間も預けられたなら、その快楽は眠りを誘う程に耳から脳に広がるだろう。
友人がフランス、インドネシアに暮らしている。
もちろんあちらの耳かき事情を聞いてみた。
「そっちの耳かきはどんな?」
友は口々に言った。
「ないよ。」
この快楽を習慣としているのは日本だけなのであろうか。
世界中の人にきいたわけではないので、ここで言及はできないが、
そうなるとますます耳かき屋を持つ夢はつのるのだった。
舎長 明神慈